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政治と権力(歴史は繰り返される) [政治]

私達の国は七〇年程前に戦前の旧体制に決別し、新憲法を制定し、個人の権利を大切にする国に生まれ変った。国家権力に依る個人の教育や思想への介入を禁止し、言論の自由も認めた。又、海外で軍事力を行使する事を禁止した。此の憲法で国家権力の暴走を縛り、個人の権利や自由を護り、海外派兵を禁止し、平和国家として繁栄を築いて来た。之が戦後レジームである。                                     戦後レジームから脱却する事は、之等の縛りを取り外し、何を求め、何処へ向う考えか?多くの憲法学者の違憲論に耳を傾けもせず、只一度の閣議で共同防衛や、海外派兵を認める様に憲法解釈を変更し、数を頼りに安保関連十一法案を国会で可決させてしまった。同盟国と共に世界の隅々に迄派兵し、戦いを挑む事を可能にしてしまった。之で司馬遼太郎氏が著書「この国のかたち」の中で”日本史上に顕われた異胎の四〇と云った”あの恐ろしい統帥権干犯時代に歴史を逆戻りさせてしまった。                     小選挙区制度が施行され、党執行部の選定で立候補者が決定される。党首の「覚え愛でたい者」で無くては当選は愚か立候補も出来ない。逆に「覚え愛でたい者」であれば例え小選挙区で落選しても比例で当選させることが出来る。結果、党首の顔色ばかりを気にする小粒な選良や閣僚が多くなり、与党党首でもある首相は往時の参謀本部等とは比較にならぬ権力を持つ様に変わってしまった。そして歴代内閣や政権政党が戦後七〇年間も護り続けた「自国の専守防衛は出来るが、攻撃を受けた同盟国を防衛する為に応戦する事は出来ない」とした従来の憲法解釈も閣議のみで軽々しく変えてしまった。権力には其れに応じた責任も伴う事を自覚すべきである。先の大戦で国民が背負った苦難を思えば、それは充分理解出来よう。原爆を投下された広島長崎をはじめ多くの都市は空爆に晒され住居は焼き尽くされ、多くの住民を犠牲にした。又、沖縄地上戦の戦場と化し、多くの住民を犠牲にしたばかりでは無く、未だに米国の占領下にあると同様の扱いを受けている。その他近隣諸国に対しては加害者として計り知れない損害と打撃を与えてしまった。                                                           これ等の歴史を更に遡れば、国際情勢の変化に応じ鎖国を解き開国を試みた幕府に叛意を顕に、薩長土連合が尊王攘夷を旗印に、既に弱体化していた幕府を倒し、其の舌の根も乾かぬ内に臆面も無く、自らが夷国と蔑んだ西欧を真似た政府を樹立し、明治維新を成し遂げた。そして内政も整わぬ儘、戦った日清戦争(明治二七年一八九四年)に勝利し、馬関条約締結後、日露戦争(明治三七年一九〇四年)から大東亜戦争敗戦に至る(一九〇五年から一九四五年迄)司馬遼太郎氏が日本史上異胎の四〇年と云われたこの間の暴走は、帝政憲法上天皇のみが有するとされた「統帥権」を陸軍参謀本部が自己本位に曲げて解釈し乱用した結果である。
即ち、明治維新は幕府及び譜代大名の弱体化に乗じた倒幕の結果で有り、日清戦争の勝利はアヘン戦争の結果、アグイン条約に伴う西欧諸国による彼の国の植民地化と清王朝の乱れ等清国内部事情が全てであり、日露戦争の勝利も又、赤化に伴う帝政ロシアの混乱に乗じての勝利であり、全てが漁夫の利であって決して薩長連合政府率いる我が国が優れていた訳で無い事は明瞭である。明治維新を成功させ、日清、日露の戦に勝利した事で更に国力及び軍事力を過信し、参謀本部の「統帥権」に惑わされ、彼等の為すが儘に建国した満州国を認め、更に世界の一等国を夢見て先の大戦に臨み、惨憺たる結末を招いてしまった。                                    昨今の政治状況を鑑みるに、長州出身の権力者が往時に郷愁を覚え、小選挙区制度に依る権力の肥大化を好い事に憲法学者の違憲論にさえ聞く耳持たず、「統帥権」まがいに自己本位の憲法解釈で国民生活を蔑ろに同盟国と共に世界の隅々にまで派兵し、世界のリーダーたらんとする自己中心の思惑で戦後レジュームとの決別を唱える危うさには限りなく不安を覚える。




世界のリーダーで無くとも国民に幸せを [政治]

私達の国は経済成長の時代に終りを告げ、既に成長より配分を重視する成熟社会に突入している。にも拘らず、未だに経済成長を夢見てトリクルダウン等到底望めないにも関わらず、経済成長を基本政策に掲げ、貧富の格差を益々拡大させている。更に、最高法規の憲法を犯して迄も強引に安保関連法案を可決し、同盟国と共に世界の隅々に迄派兵し戦いを挑む準備を整えている。之では司馬遼太郎氏が著書「この国のかたち」の中で”日本史上に顕われた異胎の40年と云はれた”あの恐ろしい時代に歴史を逆戻りさせてしまう。国家の運営ビジネスとは異なる事を実感し、軽々しく歴代の内閣及び政権政党が護ってきた基本方針を変更して国民を惑わせる事は止めて戴きたい。株式会社であれば倒産の責任は最終的に株主が出資分だけ負えば済む事だが、国家運営の失敗→失政は、先の大戦で国民が背負った苦難を考えれば理解出来よう。末代までも全国民を不幸のどん底に引きずり込むばかりでは無く近隣諸国にさえも計り知れない打撃を与えてしまう。日清戦争(明治27年1894)に勝利し、馬関条約締結後、日露戦争(明治37年1904)から大東亜戦争敗戦に至る1905年から1945年)日本史上異胎の40年と云われる過ちは、陸軍参謀本部に依る持つ事さえ許されていない「統帥権」の乱用と僅か数名の政権担当者の国力を過信した判断に依る失政が元凶である。、日清戦争の勝利は清王朝の乱れとアヘン戦争とアグイン条約に伴う西欧諸国による彼の国の植民地化に伴う内部事情が全てであり、日露戦争の勝利も、赤化に伴う帝政ロシアの混乱に乗じての勝利で、決して我が国の戦力が特別に優れていた訳で無い事は明瞭である。鎖国を解き開国を試みた徳川幕府に反意を顕わに攘夷を掲げる薩長土連合が倒幕に成功し、攘夷を旗印に幕府と戦った薩長連合は、其の舌の根の乾かぬ内に、臆面もなく夷国と称する西欧を真似た連合政府を設立し、明治維新を成し遂げた。その後、内政も整わぬ内、充分な準備もない侭戦った日清、日露の戦に勝利した事で国力を過信し中国に満州国を設立し、更に世界の1等国を夢見て先の大戦に臨み、惨憺たる結末を招いた。

昨今の政治状況を鑑みるに、往時に郷愁を覚え、戦後レジュームとの決別を唱える政権担当者は多くの憲法学者の意見にも耳を傾けず「閣議決定」の憲法解釈を押し通し、同盟国と手を携え世界の隅々に迄派兵し、往時の「統帥権」まがいに国民の生活を蔑ろに世界のリーダーたらんとする危うさにはこれでも法治国かと不安を覚える。

    
統帥権干犯問題 → 明治憲法(大日本帝国憲法)には、11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」第12条「 天皇ハ陸海軍ノ編成オヨビ常備兵額ヲ定ム」とある。=之を天皇の統帥権編成大権と云う 天皇だけが持つと定められた11条「統帥権」及び12条「軍の編成大権」を陸軍参謀本部は「天皇の意志を代行して軍を統帥及び編成する処」と手前勝手に解釈して、政府の干渉なしに軍を統帥し、編成し行使出来る様にした。その結果が先の大戦に繋がって行った。


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